1 企画運営・主催 国際学習環境交流推進協議会 (代表 坂元 昴 前文部科学省メディア教育開発センター所長) 東海スクールネット研究会(特定非営利活動法人NPO申請中) (代表 後藤 邦夫 南山大学教授) 2 協力 早稲田大学IT教育研究所 3 現地運営 プモリ・トレッキング会社 Pumori Treks & Expedition 4 国際貢献プログラムの内容
東海スクールネット研究会のメーリングリストで、今回の国際協力を見て、参加を希望した。以前より東海スクールネット研究会のネパール支援については知っていたが、自分には無理だし、遠い話と思っていた。しかし、元気な今のうちに学生時代からの夢であるヒマラヤに行けるのも、今だけと参加を決意した。 26日、中部国際空港で他のメンバーと待ち合わせ、バンコクに着きトランジットで6時間の待ち時間を費やし、カトマンズに着いたのは、朝であった。 ネパールの空気は排気ガスで汚れ、町の様子は首都と思えない道とゴミで一杯であった。 これからのトレッキング・カトマンズでお世話になるニマ氏宅で旅装を解き、明日からのトレッキングの準備を行いネパールの第1日が終わった。 28日。いよいよトレッキングの始まりである。ニマ氏の車で空港に向かう。相変わらず空気が悪く、ゴミが目につく。町は今ガソリン不足でガソリンスタンドには一日がかりてガソリンを手に入れようとする車が延々と並んでいる。 カトマンズからパブルまで飛行機で1時間の旅。大丈夫かなと思える飛行機でパブルに着く。着陸して後ろを振り返ると、なんと舗装していない滑走路。しかも、平らでない。 これがネパールかと感じた。 パブルでトレッキング隊が編成された。メンバーは我々東海スクールネット研究会7名、サーダー(ガイド及びポーター頭)はニマ氏の弟であるゲルさん。前ダクチュウ村長のダヌーさん、それにポーターが3人である。 昼食後、いよいよ山道に入る。道のあちこちには牛の糞。一歩進むたびに足の置き場所が難しい。ネパールでは牛は神聖な動物とされ、その肉は食べない。平野のない高地では、牛の放牧が農業の基幹であり、乳製品を食料としている。したがって、登山道は放牧の場所への移動として使われるため、道の牛の糞は絶えることなくジリまで続いた。 1時間ぐらい下ったところの茶店で休憩。青い桃を食べる。甘いような甘くないような桃だった。道は川にたどり着き河原を歩いていくと、小さな村に着いた。そこには学校があり、ちょうど休憩時間で子どもたちが遊んでいた。今はトレッキングのシーズではないため、子どもたちが警戒しながら近づいてきたのだ。私たちのメーバーの若い女性が声をかけ、お友達になった。そこで記念撮影。ネパールでの初めての子どもたちとの交流だった。 さて、旅は続く。これからは登り道。雲行きも怪しくなってきた。小さな村(?)にはマニ石があるのですぐ分かる。ネパールの人々の信仰の深さを感じる。やがて何人もの子どもたちが道を下ってくる。さっきの学校に通っているようだ。しかし、午後になってからもうかなり経っている。授業は二部か三部に分かれているようだ。もたつく私たちと違って足取りが軽い。しかも、速い。当然かもしれないが、学校に行くため1時間以上下ってまた戻る。そんな毎日になんて、日本では考えられない。日本の子どもは楽をしていると感じたのは私だけでないようだ。 途中すれ違うポーターたちは、自分の体よりはるかに大きな荷物を運んでいる。ゲルさんに聞くと80kgぐらいあるとのこと。荷物を運ぶ子どもにも会った。もっとも荷物が小さいが小学生や中学生ぐらいである。学校は行っているのだろうか。 しばらくして雨が降ってきた。ネパールの雨期は我々を裏切ることなく雨を降らせてくれる。しかし、今までのダクチュウ村行きと違い、かなり優しい降り方だったようである。 林を抜けて、吊り橋を渡るとズンベシ村である。今日はここで宿泊する。ロッジにはダヌーさんの妹さんがいた。元気のあるメンバーの一部は、この地方最古と言われるゴンパ(僧院)を見学に行く。 29日は、標高3580mのラムジュラ峠越え。心を引き締めて出発する。ズンベシ村が下の方に見えるようになったころ、ヒマラヤの白い峰が山の向こうに出現する。みんな感動の一瞬。もっとはっきり見ようと登りにもかかわらず足が進む。 白い峰に別れを告げひたすら巻き道を登って高度を上げる。やっとラムジュラ峠が見えたところで昼食。この頃からメンバーの一部に高山病の影響が出始める。 昼食後はただひたすらに登るだけ。きつい登りに、何度か休憩する。やっとの事で峠に着く。この峠から下がダクチュウ村の校区とのこと。 下りの道はシャクナゲの林の中。ふと足元を見るとエーデルワイスが群生している。 なだらかな下り道が急になり、膝に負担がかかってきたころ、茶店が現れる。茶店の人と話しているとこの家の主人がダクチュウ小学校の先生とのこと。女の子が恥ずかしげに近寄ってきてくれたので日本からのおみやげをあげた。すると、外にいた弟も呼んできてご挨拶。疲れた体にすがすがしい風が吹き抜けていった。 夕食後、村の人々が集まって歓迎会をしてくれた。若い女の人たちが民族衣装に身をつつみシェルパダンスを披露してくれた。 30日の朝、ダクチュウ小学校を訪問。 この学校は、現在、児童数28名で、東海スクールネット研究会が募金を呼びかけ日本の子どもたちの支援で設立されたものである。その後、水道設備・ソーラー発電設備と支援を続けてきた学校でもある。 学校への入り口は、「ウェル カム」とかかれた看板と花で作った門で飾られ、とてもきれいだった。子どもたちは学校で私たちを出迎えてくれた。そして、日本から運んだ鉛筆・ノート・消しゴム・クレヨンなどの贈呈式が行われ子どもたちとの交流が始まった。私は簡単なゲームと算数の授業を行った。他の先生方も子どもたちと交流を深めていた。 その後、学校の校庭に私たちの席が作られ、子どもたちは踊りを披露してくれた。 その間にも小さな子が近くの山の花を摘んできて、私たちに一人ひとりにはにかみながら手渡してくれた。最後の別れにと、子どもたちからたくさんの白い布を首にかけてもらって交流会が終了した。 31日。馬に期待をかけ出発するがなかなか馬がこない。今日は標高差で約1000mの登りである。がっかりしながらも何とか山道を登っていくと、白馬が目の前に現れる。 急な道のため、馬が前に進まなかったようである。最初にお世話になったのが私だったが、あまりの重さに馬が苦しんでいる。道のいいところから乗ることにする。そこで、バテ気味のメンバーが交代に馬のお世話になる。 バンダルで昼食後、デオラリ峠への道もひたすら我慢の登りが続く。馬がなければとても登れなかったと思う。雨の中、デオラリ峠に到着。リーダーはシバラヤ村まで行きたかったようであるが現在の状態ではここまでが精一杯だった。デオラリ峠は寒く、ストーブに火を入れてもらった。ここで出会ったイギリス人は、アンナプルナのトレッキングを終え、これからエベレストBCを目指すとのこと。ただすごいとしか言えない。 8月1日。トレッキング最後の日。シバラヤ村にもう一頭の馬がいるとのこと。元気百倍。 ひたすら駆け足で下っていく。シバラヤ村はこの街道の宿場町で生活の匂いがあちこちからする町だった。 昼食を食べているとオートバイを発見。ジリまでオートバイで行ける道があるとのこと。ゲルさんに頼み、オートバイに乗せてもらう交渉をする。交渉成立。 ここでみんなと別れ、一行は山道を、私は軽快なオートバイの旅となった。 ジリでみんなと再会。前日に頼んであったマイクロバスで、深夜にカトマンズのニマ氏宅に到着する。 2日。タメル地区のホテルに移動し休養をとる。 3日。カトマンズのホーリー・ガードン学校訪問である。 タメルのパークエリアで待っているとホーリー・ガードン学校のスクールバスが迎えにきてくれた。 ホーリー・ガードン学校に到着。この学校は私立学校で3歳から日本では高校1年生にあたる児童・生徒約700名が学んでいる。私たちは、経営者のキラン氏の案内で施設を見学した。運動場はバスケットコートが一面とれる大きさしかなく、コンクリート敷きであった。校舎は中高生にあたる生徒は平屋の建物で、1教室の大きさは日本の教室の三分の一ぐらいだった。1学級の生徒の数は約35名ぐらいで、3〜5人掛けの椅子と一体化した机で学習していた。 最初に訪問した教室では、幼稚園にあたる子どもたちが踊りと歌で歓迎してくれた。 その後、コンピュータ室や図書館・寄宿舎を見学した。私たちは、それぞれの教室で子どもたちに声をかけ交流を行ったが、会話は英語で通じた。 見学後、キラン氏からネパールの教育事情について話を聞いた。 現在、ネパールでは大学入学検定試験があり、この試験の成績で入学できる大学が決まるとのこと。そのため、公立学校より、質の高い私立学校に入れようとする親が多いとのこと。英語ができるのがステップアップのもとなので、この学校では英語教育を3歳から始めているとのこと。授業料は、約7000ルピー。寄宿生は約14000ルピーである。教師の給料は約14000ルピーとのことから、学費の高さが想像できる。 午後は、ヘルプレスチルドレンスクールを訪問。カトマンズの外れにある、2階建ての小さな学校である。キラン氏をはじめ4名の人の呼びかけで作られた学校である。学費はなし。ストリートチルドレンや近くの貧しい学校の子どもたちが通っている。教員は3名。それぞれ5・6人程度で学級を編成している。先ほどの学校と違い、制服もなく貧しさそのままの子どもたちである。ランチは学校で無料で出るため、学校の設備管理兼調理人兼警備員がいて、学校の敷地内に一部屋しかない建物に一家族4人住んでいた。 これで、私としての学校訪問・交流は終わったが、翌日、2名の先生がカトマンズ市内の中学校を訪問し、支援物資を届け、今後の学校間交流の方向についての話し合いを行った。 4日。休養と帰国準備 5日。カトマンズ空港13時10分発。バンコクへ。バンコクから中部国際空港へ。 6日。8時中部国際空港着。解散。 この旅の11日間うち、ダクチュウ村訪問と交流に5日間。カトマンズでの学校訪問1日間。移動4日間・休養2日間の旅であったが、ダクチュウ村では、高地でも貧しくても明るくたくましく暮らす子どもたちの笑顔。カトマンズでは受験戦争に立ち向い、勉強によってカーストから抜けだそうとする子どもたち。一方では、タメル地区の物乞いをするストリートチルドレンの姿、現在のネパールの子どもたちの様々な姿を知ることができた。 今、ネパールは王制が終わり、「マオ」政権となった。政治的には転換期で、経済的には観光が大きな収入であるが、政情不安と世界的な不景気で観光客が減ってきている。 シェルパ族だけでなく多くの民族があちこちに小さな集落を作っており、政府の手が届かず、教育を受けていない子ども達も多くいる。今回の旅で、自分でできることは小さいがそれでも子どもたちが、少しでも明るい笑顔で過ごせるようになれる手助けができたと信じる。 今後も東海スクールネット研究会の活動を通し、自分の役割を果たしていきたい。 (訪問記 錦小学校 山本先生)
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