東海スクールネット研究会 国際貢献プログラム
 

1 ネパールを大地震が襲いました。
 現地時間2015年4月25日11時56分にネパールの首都カトマンズ北西77km付近、ガンダキ県ゴルカ郡サウラパニの深さ15kmを震源として大地震が発生しました地震の強さは、マグニチュード8.程度と推定されています。
 この地震の強震によってネパールでは建物の倒壊、雪崩、土砂災害などにより甚大な被害が発生しました。またインドや中国のチベット自治区、バングラディッシュなど周辺の国々でも人的被害が生じました。さらに、余震により、被害を大きくしています。
 このの巨大地震で、およそ9000人が死亡、1万7千人ものけが人が出たと報告されています。世界中の観光客が集まる名所だった世界遺産も壊れ、家に住めなくなった人は、テントなどで暮らしているということでした。

2 2015年の活動
 大地震発生前に、2015年の活動を計画していました。地震発生で、2015年は活動を中止することも検討しましたが、飛行機は飛んでおり、現地滞在も可能だという情報を得て、「地震の後だからこそ、支援が必要ではないか」と考え、メンバー4人で、7月下旬に現地入りすることにしました。それぞれのメンバーが、勤務校を中心に、ネパールの子どもたちをとりまく現状と、それに対してできることを児童生徒に考えさせ、実行する国際貢献活動を計画しました。
 7月31日、中部空港よりバンコク経由で、カトマンズに向かいました。
3 活動の様子

カトマンズ市内は
 ネパール大地震から3ヶ月後の7月下旬、カトマンズ入りしました。周囲からは「こんな時期にネパールに行くのか」「疫病が流行り、治安が悪くなっているぞ」「最低限の水と食料を持っていけ」と言われながらも、そのような忠告はすべて聞かなかったことにして、タイ航空機に乗りました。
 カトマンズに着いてみれば、最初の印象は「大地震、あったの?」というぐらい、街の様子は変わらりません。マスコミは大げさに被害の大きいところを報道するから、もうカトマンズは壊滅的な被害を受けて、東京大空襲の後のようになっているイメージを人々に植え付けていましたが、そんなことはありませんでした。

 着陸直前のタイ航空機から撮影したカトマンズの様子。普段と変わらない景色で、特に、地震の影響は分からない。阪神淡路大震災の後に伊丹空港に着陸する航空機からは、ブルーシートの屋根が目立ち、明らかな被害が手に取るように分かったのだが。

 繁華街、タメルの様子。ここも特に地震の被害は感じられない。違いは観光客がいないことである。ここ数年、中国や韓国からの観光客が大増加していたが、その姿は皆無であった。

 地元のバザールは、いつものように大賑わい。大地震後の経済活動の衰えは、感じさせない。

 しかし、街の中には、このように倒壊した建物もところどころ存在した。

 水を宅配する業者の建物。カトマンズの水道は、絶対に飲めないし、給水も24時間ではないので、それなりの家や事業所は、ボトルのフィルター水を購入している。ここは、建物にクラックが入っていたので、つっかえ棒で補強していた。

 所々、出し抜けにこういうところがある。周りの建物はまったく平気なのに、間の建物が倒壊している。


ナワジャグリティ小中学校
 カトマンズ北部のシェルパ族など少数民族が多く住む地区に、地域の人々が出資して建てられた学校です。校舎が手狭で、2部制で授業を行っています。高学年は朝6時から10時まで授業を行い、10時に集会をして低学年と交代し、低学年は2時まで授業を行います。ここへは、参加教職員が呼びかけて児童生徒から集めた学用品を支援しています。提供された学用品は、生徒会が自主管理し、必要な児童生徒に配布しています。また、日本の学校と作品交流も行ってきました。
 手狭だった校舎は、地域や外部からの募金で、3階建てに改修され、近くに運動場も設置されました。集めた募金の一部も校舎増築費用として提供しています。大地震の後、政府の指示もあり、カトマンズの学校はすべてしばらくは休校状態でしたが、6月には、授業が再開されました。この学校では、大地震による校舎への被害はなく、運動場の塀の一部が倒壊しただけでした。

学校入り口

運動場の塀が倒壊していた(奥の部分)

 手洗い場が新設されていた。手洗いは、衛生管理の基本であり、国も奨励しているという。農村でも、手洗い励行のポスターを見かけた。

休み時間が終わり、教室にもどる子どもたち

日本の子どもたちが集めた学用品を贈った。

日本の子どもたちと、作品交流

教室にて

フレンドリーな子どもたち


アルノダヤ小中学校
 カトマンズ北部のボーダナートに近い学校です。ここにも、参加教職員が呼びかけて児童生徒から集めた学用品を支援しています。日本の学校と作品交流を継続的に行っています。この学校も、大地震で塀が壊れましたが、校舎に被害はなく、授業を行っていました。
 今回、文房具の支援と作品交流だけでなく、授業改善についても校長先生より相談を受けました、

崩れた塀は、トタン板で応急修理

学校内部の様子

ちょうど集会を行っていた。集会は毎日10時頃行われる。

日本の子どもたちが集めた鉛筆、ノートなどの学用品を贈った。

贈られた鉛筆を片手に、勉強中。

授業の様子。


チャンピ村はすの花保育園
 チャンピ村は、カトマンズ市の南西に位置するラリトプール郡の山間部にあります。ここでは、メンバーの一人が、継続的に妊産婦や乳幼児の健康調査と衛生指導を行っており、それにあわせて、保育園の支援を行ってきました。未就学児向け教材や玩具の寄贈と、メンバーの発案で始めたミルク給食、バナナ給食の支援を続けています。また、衛生的なトイレも建設しました。ミルク給食やバナナ給食は、効果が確かめられ、登園する園児の数も増加してきました。
 大地震による保育園への影響は軽微でしたが、村の住宅のほとんどは、大地震による被害を受け、修復作業や建て替えを行っていました。一部の住民は、トタン板で作った仮設住宅で暮らしていました。住宅の被害は大きいですが、人的被害はなかったそうです。大地震後、余震の心配から、登園を見合わせる事例が増え、しばらくは休園状態でしたが、徐々に、登園児童がもどってきているということでした。登園する児童が少ないので、ミルク給食、バナナ給食は中断していましたが、新たにゆで卵による給食もはじめ、11月には、再開したそうです。

カトマンズから1時間半、悪路を四輪駆動車で進む。

はすの花保育園に到着。

増築中の2階の一部が、大地震により倒壊したが、1階部分は、無事だった。

スケッチブックやクレヨンなどの文房具を支援する。

子どもたちと、交流

   バルーンアートは、大人気!

 大地震で被害を受けた住宅。左半分は倒壊しだか、右奥の部分で住み続けている。

 奥の住宅も、倒壊している。手前の住宅は、2階部分の上半分のレンガを積み直し、屋根をトタンに変えて、修復した。

トタン板とシートでできた、仮説住宅が並んでいた。

海外から支援されたテント。

 この建物も被害を受け、手前にレンガとトタン板でできた建物を設置。

 竹を組み合わせて土を塗りつけた壁の、レンガより地震に強い住宅を建てていた。


カトマンズ日本語補習授業校
 カトマンズに住む日本人、日系人児童生徒が日本の教育を受けるための唯一の学校です。ネパール国内には日本人学校はありません。子どもたちは、普段は現地校に通い、土曜日(ネパールの週休日)に、ここで日本の教科書を使い、おもに国語と算数の学習をしています。
 日本人会の運営で、現地駐在の日本人が中心になって授業を行っています。ここでは、教職員と交流を続けています。ICTを活用した国語や算数の授業や、情報教育を実際に行い、教育方法などの意見交流をすすめてきました。
 大地震の発生時は昼休みでしたが、全員無事でした。建物にも、ほとんど影響はありませんでした。地震から3週間後には、半日体制で補修授業を再開しています。
 今回も、中学生を対象に、プログラミングの授業を行いました。また、各学年の授業を参観させていただき、先生方と授業改善について話し合いました。

カトマンズ日本語補習授業校

中学生を対象にプログラミングの授業を行った。


ダクチュウ村の小学校
 国際貢献プログラムのスタートとなったダクチュウ村の小学校は、地元の自治体の公式認可も下り、順調に運営されています。ただし、公式には教員1名分の給料しか支給されていないため、運営資金の援助を、継続して行っています。
 山間部は、大地震による被害が深刻で、ダクチュウ村も例外ではありません。多くの住宅が倒壊し、学校も中破しました。しかし、7月には学校は補修され、授業が再開されたそうです。
 

大地震の前のダクチュウ村の小学校の様子

大地震からひと月後の様子。職員室付近の壁が倒壊している。

運動場側の壁も、被害を受け、子どもの姿が消えた。

2001年、はじめてダクチュウ村を訪れたときの写真。

左の写真の村長さんのロッジも、倒壊してしまった。


一日も早い村の復興を願うばかりである。


世界遺産の街、カトマンズの様子
 世界遺産の街、カトマンズ。市内や郊外には、貴重な歴史的な遺産がたくさんあります。今回の大地震で、市内の一般的な建物の被害は少なかったのですが、これらの歴史的建造物は、甚大な被害を受けました。

カトマンズ王宮広場

クマリの館

バクタプール

スワヤンブナート
 2001年以来毎年続けている学校支援活動、地震の後だからこそ、今年も行かなければとやって来たネパール。報道では、地震の爪痕の写真やビデオを多く扱っていますが、実際には、カトマンズ市内は、「地震、あったの?」と思うぐらい、いつもと変わらない風景でした。支援している学校の子どもたちの笑顔も、いつもどおりでした。古い寺院や山村の被害は、大きいです。でも、着実に復興へ踏み出していました。
 滞在中に余震を感じることは、ありませんでした。
 ネパールは、もう、元気です。
 国内交通も、物流も、経済活動も、震災前と同じレベルに回復しています。食べ物に困ったり、治安が悪くなったり、疫病が流行ったりしてはいませんでした。
 しかし、外国人観光客の姿は、ほとんどありません。観光が、主要な産業になっているネパールにとっては、手痛いことです。
 もう、観光するのに、きれいな山々を眺めるのに、一般的なルートでトレッキングするのに、困ることはありません。以前と同じように、この国を満喫することができます。
 帰国の朝、タメルでお土産をいっぱい買い込んで、ホテルに戻ったら、ホテルのマネージャーが「いっぱい買い物しましたね。ネパールの復興に協力してくれて、ありがとうございます」と言っていました。
 みなさん、ネパールに行きましょう。観光も、トレッキングも素敵です。それが、この国を支援するのに、一番よい方法のように思えます。(にわ)

 2016年度以降も、活動を継続しています。



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